静岡鉄道駿遠線廃線跡をたどる(その2)2016/05/22 16:37:33

駿遠線の廃線跡は多くの優れたリポートがありますので、いろいろ参考にさせてもらっています。私のは報告というより、自分のための備忘録的なものです。

おなじみ、新幹線とのクロス地点。

山本橋の袋井方に残るレンガ積みの橋台(土管の下)。反対側はなし。

写真が下手だけれど、アップにしてみた。

橋台の延長線上、袋井方に残る土盛り。路盤跡のように見えるけれど、未確認。

柳原駅の復刻駅名標。

この付近は切通しだったらしい。写真奥が袋井方。

(続く)

静岡鉄道駿遠線廃線跡をたどる(その1)2016/05/21 01:18:33

連休中、袋井に行く用事があったので、駿遠線の廃線跡を少しだけ歩いてきました。袋井市内は行政が廃線跡のPRに熱心で案内看板などが整備されているのですが、掛川市内に入ったとたん、どこが廃線跡かよくわからなくなりました。時間の関係で、新横須賀駅の少し先、現在の静鉄系のバス会社・秋葉バスの車庫まで歩いて、バスで引き返してきました。

JR袋井駅

復刻した駅名標もあります。


このあたりが駅構内の一部だったらしい。


廃線跡の案内看板。

駅の入り口にはかつてガードがあり、石積みの橋台は当時のものらしい。

(続く)

遠鉄奥山線の残照62014/11/03 22:35:59

前回紹介した橋を渡ってしばらくいくと、十数年前までは四村駅の元駅舎があったそうです。時間がなくなってきていろいろ見落としているものがあるようですが、廃線跡は里道となって続き、また神宮寺川を渡ります。歩道橋となっていますが、橋脚は前の橋と同じようなレンガ積みのものが残っています。


終点の奥山の一つ手前、小斉藤駅跡付近に説明板がありました。


そして、奥山駅に入る前でも神宮寺川を渡っていた鉄橋跡が残っています。浜松方から。


奥山方から。


奥山方には橋台だけが残っています。


奥山駅跡はバスの営業所?になっていました。


(終わり)

遠鉄奥山線の残照52014/11/01 17:03:07

井伊谷川の支流、神宮寺川を最初に渡る鉄橋は、車がぎりぎり1台通れる道路橋として残っています。




橋桁はピカピカに赤く塗られていますが、銘板が残っていて、「東京石川島造船所  製造 大正十二年」と読めます。




川を渡ると、果樹園の中にも橋がかかっていて、レンガ製の橋台、橋脚が残っています。




橋脚のアップ。



橋台のアップ。



こちらの橋桁は銘板を確認できませんでしたが、たぶん、同じ時期の製造ではないでしょうか。


(続く)

遠鉄奥山線の残照42014/10/31 19:48:32

奥山線は金指駅で旧国鉄二俣線(現・天竜浜名湖鉄道)と接続。少し西へ進んでから二俣線をオーバークロスしていました。そのコンクリート橋が今でも残っています。

北東(線路北側の金指方)から。


北西から。


南東から。


南西から。



少し進むと気賀口駅跡を示す看板があります。


線路は井伊谷川を渡って西岸を北上。井伊谷川の西岸に橋台跡が残っているという情報もありましたが、見落としたようです。このあたりは県道に飲み込まれて何も残っていません。正楽寺駅あたりの手前で廃線跡は県道から左に分かれ、道路として残っています。


(続く)