遠鉄奥山線の残照32014/10/30 21:45:18

前回最後に紹介した住吉駅跡を出ると、廃線跡を整備した歩行者・自転車専用道は車道と交差して途切れます。その先は住宅街の普通の道路が続きますが、ちょっと進むと左側の民家の植え込みの影に銭取駅跡の標柱と説明板があります。



ここから先はしばらく、線路跡を偲ばせるような遺構はなく、駅跡を示す標柱もしばらく途絶えます。幸町駅跡は、遠鉄タクシーの営業所になっていて位置を特定できますが、小豆餅駅跡、追分駅跡は判然としません。




電化区間の終点だった曳馬野駅跡は遠鉄ストアになっています。このあたりは広い直線道路が続くだけです。



次の三方原駅跡は本屋さんの手前です。



都田口駅跡はこの交差点のあたりだったようです。ここから奥山線は北西に曲がっていきましたが、線路跡は特定できません。


ちょっと山側に入った裏道沿いの左手に唐突に藪に覆われたガーター橋跡が現れます。道路よりかなり位置が高いのに築堤跡などもなく、本当に唐突という感じです。逆光でいい写真が撮れなくて残念。



橋跡から500メートルほど先の延長線上に路盤跡と推定される道がありますが、定かではありません。


(続く)

遠鉄奥山線の残照22014/10/29 21:30:32

亀山トンネルを抜けると、右手に広沢駅跡を示すレリーフが設置されています。



しばらくは廃線跡が遊歩道になっています。


すぐにまた短いトンネル跡があります。写真左下の白っぽい標柱に「広沢トンネル跡」と書かれています。


浜松北高校を過ぎて道路を渡り、住宅街に入ると、廃線跡は歩行者・自転車専用の生活道路のような雰囲気になります。


路面には駅跡の表示があります。





住吉駅跡は路面の表示と標柱、説明板がありました。




(続く)

遠鉄奥山線の残照12014/10/28 21:57:46

先日、静岡県西部に行く用事があったので、ついでに遠州鉄道奥山線の廃線跡を訪ねて来ました。廃止から50年たちましたが、意外に痕跡が残っていました。

始発駅の遠鉄浜松駅は、遠鉄西鹿島線・遠鉄病院駅東にある文化施設・クリエート浜松になっていて、奥山線の駅跡を示す標柱が立っています。


ここから北西に延びる線路跡は細い路地として残っています。写真は遠鉄浜松方面を望んでいます。


しばらく行くと小さな公園があり、北田町駅跡の標柱があります。文字が薄くなってほとんど読めません。


車庫などがあった元城町駅はホテルになっていて痕跡はありませんが、しばらく行くと亀山トンネルに行き当たりります。ここからしばらくは線路跡が遊歩道として整備されており、ポータルのレンガ積みなどが化粧直しされたようです。


入り口の手前には、奥山線の歴史を振り返る展示があります。




トンネルの反対側の開口部。



(続く)



鹿児島交通知覧駅跡2011/09/13 11:39:59

 日曜、月曜と仕事の関係先との親睦旅行で鹿児島に行った。知覧にも立ち寄ったので、鹿児島交通知覧線の知覧駅跡周辺を少しだけ探訪。

 知覧駅跡は知覧の街中から特攻平和会館へ向かう県道27号沿い、南九州警察署がある交差点で県道と交叉する道路沿いのドラッグストア、鹿児島交通のバスターミナルあたりにあった。

知覧駅跡

 年配のバス運転手さんによると、駅の遺構は何もないという。舗装されている下の写真の辺りにホームがあったらしい。写真の奥にドラッグストア、交差点がある。

知覧駅跡

 反対側は未舗装のまま。奥に止まっているバスのさらに奥。木の辺りまで構内の線路は続いていたという。

知覧駅跡

 交差点を渡ってから小さな川にぶつかるまで続く路盤跡。

路盤跡

 駅跡寄りの方にコンクリート製の橋台が残っていた。

橋台跡

真横から。

橋台跡

橋台の上に乗って、手を延ばして撮影。

橋台跡

 レンタカーでも借りて加世田の鉄道記念館まで行きかったが、そこまで別行動する時間もなく、同行者に理由を説明するのも面倒なので断念。

西鉄探訪補遺2010/05/04 22:14:41

西大寺鉄道橋脚跡

家族宅への帰還中を利用して、欠落していた
西大寺鉄道の遺構を確認してきました。
写真の上下はどちらも橋脚跡です。
上が西大寺市駅の手前、砂川にかかっていた橋脚跡です。
もう1脚ぐらいあるのですが、水没してよく見えませんでした。
下は砂川と広谷駅の間の芳岡川の橋脚の残骸です。
そのうち本編にも追加します。