軽便ことはじめ・・・ ― 2009/01/27 01:32:13

模型の話はいったんおいといて、なぜ私が軽便鉄道に惹かれたか、
についてあやふやな記憶をたぐってみます。
本編にもひそかに記していますが、私の軽便初体験は
西武山口線のコッペルでした。1974年の3月のことです。
ふだん見ていた阪和線や環状線、関西線、南海線、近鉄線とは
まったく違う車両にわたしはいたく惹かれたのでした。
それでこのなんとも愛らしい車両たちはいったい何だんだ、と
調べ始めます。小学5年か6年になってTMS誌を本屋でたまたま知り、
「レイアウトモデリング」の沼尻をはじめ、
そして昨日、一昨日のエントリでも登場する「世界の鉄道’68」に
出会うことができました。さらに偶然にも偶然、天王寺駅の地下で
たまたまやっていた古本市で立風書房の「日本の軽便鉄道」も手にし、
それで少しは軽便鉄道の世界を知ることができたのでした。
ちょっと遅れて「ナローゲージモデリングで「頸城鉄道のムード」を見て、
毎日新聞社の「郷愁の軌跡 軽便鉄道」も手に入れます。
私の小学校卒業式は1977年3月19日なのですが、
この日は最後の非電化軽便、尾小屋鉄道の廃止日でした。
軽便に首をつっこみかけていた私にとって、この日どりの一致は
偶然とは思えませんでした。絶対何かの因縁があるはず・・・。
どこからかは忘れましたが、この情報に接したガキの私は
3月に入ってからの土日を利用して尾小屋行きをもくろみ、
親に申告したのですが、「小学生の分際でなにをほざいてんのか」と
あっさり却下されてしまい、とうとう自分の目で営業中の非電化軽便を
見ることはできませんでした。ともかく、小学6年の終わりには、
このように軽便大好き少年になっていことは間違いありません。
くどくど書きましたが、なぜ軽便に惹かれたのでしょうか?
答えのひとつとして、またまた「世界の鉄道’68」からの写真です。
草に埋もれたヘロヘロ線路、アンバランスで滑稽だけど愛らしい車両、
軽便の魅力を凝縮した1枚のような気がしてなりません。
沼尻のガソもショックでしたが、北海道の簡易軌道もぐいぐいと
私の胸に迫ってきたのでした。ミルクを飲みに行きたかった・・・。
コメント
_ みのる ― 2009/01/27 22:23:34
_ 庶務係 ― 2009/01/28 04:36:06
みのるさん、ありがとうございます。
これは浜中の西円朱別です。
なにせ「日本の私鉄気動車」特集ですので、
1067mmも含め、ヘロヘロな非電化私鉄が満載でした。
また、アップしてみますね。
これは浜中の西円朱別です。
なにせ「日本の私鉄気動車」特集ですので、
1067mmも含め、ヘロヘロな非電化私鉄が満載でした。
また、アップしてみますね。
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やゃ(@@;、これは浜中か鶴居でしょうか?自走客車(泰和かな?)のディテールが見難いので判りませんけれど、『世界の鉄道’68』には、ガソを始めこんなワクワクするような写真が載っているのですね。惹かれるのは判るような気がします~。